台湾からやってきたミツバチたち

 「養蜂」は、ハチミツやローヤルゼリー、ミツロウ、花粉などをとるために、継続的にミツバチを飼うことです。また、果物の受粉を確実にするためにも使われています。

 

  タイで本格的な「養蜂」が始まったのは、1953年、今から60年以上前になります。バンコクのカセサート大学の教授が取り寄せた、たった4箱の西洋ミツバチの巣箱から始められました。得られたデータは、その後タイの養蜂に大きな影響を及ぼすのですが、その大学教授が定年退職すると、残念なことに、ミツバチはすべて病気で死んでしまいました

 その後1970年になり、大規模な養蜂に取り組んだ人物がいます。彼は、すでに何社もの薬品会社を経営し、薬に調合したいと考えていました。当時は天然ハチミツしか手に入らず、それらを薬と調合してもカビ等が生えてしまい、多くの損失を出していました。そこで、彼は台湾へ出向きミツバチを買い付け、台湾の養蜂専門家を雇い、タイでの養蜂を始めました。100箱以上の巣箱を持ち込みましたが、当初はたくさんのミツバチが病気やダニで死んでしまいました。試行錯誤を繰り返すなかで1973年頃からは、女王蜂を増やすまでになりました。

 1980年代に入ると、気候が良く、蜜源となる花の多い北部タイで、養蜂が盛んになりました。もともと台湾で養蜂を営んでいた台湾人が、チェンマイ県やランプーン県に移り住み養蜂に取り組み始めたのです。チェンマイにある友愛養蜂場の総責任者である張さんもその一人です。張さんのお兄さんは台湾で養蜂をしており、台湾から張さん自らが西洋ミツバチの入った巣箱500箱をチェンマイに持ち込んだのが始まりだそうです。ミツバチの入った巣箱を密封して、冷蔵コンテナで2回に分けて空輸したのですが、タイに着いて暑さのために死んでしまったミツバチも多かったそうです。

 1981年から、政府の農業普及局は、セミナーやトレーニングを実施しタイで養蜂が広まっていきました。張さんが持ち込んだ巣箱も、北部タイの農家が買い求め、自分たちでミツバチや巣箱を増やし、そして現在の養蜂につながっています。

 台湾から渡った西洋ミツバチの子孫がチェンマイで生き続け、そこから採れたローヤルゼリーやハチミツが日本へ届けられているという、ミツバチがとりもつ不思議な縁というものを感じます。

現地レポート

2015年6月号


<写真の解説>

1...ゆうあい養蜂場の採蜜風景

 

2...ハチミツ

 

3...ローヤルゼリー

 

4...ミツロウ


5...花粉


6...チェンマイ市内にある養蜂の器具を売るお店


7...巣箱が普及する以前は、内部をくりぬいた木にミツバチの出入り口となる小窓と上部にフタをつけ、昔からタイに生息するミツバチ(東洋ミツバチ)を飼っていた。

 

8...定期市で売られていたオオミツバチのハチミツ。


9...タイに生息するミツバチ、オオミツバチの巣、木の高いところに巣をつ くる。定期市で売られていたオオミツバチのハチミツ。

 

10...ハリナシミツバチの巣。針がなく、かなり小さい。

 

 

11..巣箱のチェックをする張さん(きみどり色の服の人)

 

12...張さんと養蜂場スタッフ (一番右のきみどり色の服の人)


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